六連島・関門海峡 2013.1.3-15

むつれじま・かんもんかいきょう



関門海峡(かんもんかいきょう)は、本州の下関市(山口県)と九州の北九州市(福岡県)を隔てる海峡。名称は両岸の地名である、馬関(現 下関市)の「関=カン」と、門司(現 北九州市門司区)の「門=もん」を取ったものである(難関という意味の関門ではない)。穴戸海峡、馬関海峡(ばかんかいきょう)、下之関海峡とも称された。最深部は水深47m。

本州と九州を隔てる水路を大瀬戸(おおせと)といい、彦島と本州を隔てる水路を小瀬戸(こせと)または小門海峡(おど)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる壇ノ浦と和布刈の間は早鞆の瀬戸(はやとものせと)という。(Wikipediaより)

2013年1月12日 船は、夜に韓国のウルサン港を出港する。対馬の東岸を航過し六連島に向かう。わずか半日の航海である。六連島は、関門海峡の西側の入口にある周囲3.9kmの小島である。戦前には要塞があり、第二次世界大戦中には高射砲部隊も駐留していた。2009年までは海上自衛隊の警備所があった。島の南東岸には石油タンクが立ち並び中型タンカーが着く桟橋がある。

1月13日、風速15メートルの季節風を船尾受けて六連島のパイロット乗船位置に向かう。昼過ぎに荒れぎみの海象の中、パイロット(水先案内人)が乗船し、直行で六連島の桟橋に向かう。関門海峡からの強い潮流の影響を受けるなか、パイロットの巧みな操船により無事六連島南東岸の桟橋に着岸する。冬場の北西方向から季節風を避けるように桟橋が造られ、少し動揺していた船体は、ほとんど揺れなくなった。ある資料によれば六連島という名前の由来は、韓国語で言う「モツァール(集落)」という説がある。韓国から近い島は韓国との間につながりがあったのかもしれない。桟橋のすぐ北側に六連漁港と集落がある。下関との間には連絡船が運航されている。島の北端には、歴史のある大きい灯台がある。桟橋の北東方向には、目立つ大きな山塊が見える。下関の吉見付近の海岸沿いにそびえる鋤尖山・竜王山と鬼ヶ城だ。次の休暇中に登ることにしようと思う。

船は、積荷の灯油を半分揚荷し後、翌朝再びパイロットが乗船し、六連島を出港する。残りの灯油を揚荷するため岩国港に向かう。六連島は関門海峡の入口にあり、船はすぐに海峡に入って行く。関門海峡は、響灘と瀬戸内海をつなぐ長さ約25kmの海峡である。一番狭い場所は600メートルしかなく、多いといきには1日に500隻以上の船舶が通航する航海の難所である。潮流が早く最強で9ノット(時速16.6km)余りに達し、衝突などの海難事故が頻発する危険水域である。韓国から瀬戸内海の港に行くには、鹿児島県南端の大隅海峡を通り、豊後水道から入って行く航路もあるが、1日余分の時間を要し、その分燃料消費もかさむので関門海峡を通ることが多い。高額のパイロット(水先案内人)チャージはかかるが、大隅海峡を大回りした場合の燃料代から差し引いても経済的である。ただし事故に遭うリスクが大きくなる。関門海峡には、海上保安庁の管制センター(関門マーチス)があり船舶の通行をコントロールしている。

交通の要衝である関門海峡は、歴史的にはいくつかの大きな出来事の舞台になった。1185年の源氏と平家のあいだで行われた壇ノ浦の合戦。1612年に宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘した。1863年の長州藩とイギリス、フランス、オランダ、アメリカの四か国連合艦隊と間で行われた馬関戦争(下関戦争)。その後の徳川幕府による第二次長州征伐(四境戦争)のときには、長州軍が海峡を押し渡り幕府方の小倉城を攻めた。1895年には日清戦争の講和会議が下関側の割烹旅館「春帆楼」で行われた。

関門海峡の本州側・下関市と南岸・北九州市は、関門港という一つの大規模な港を形成しており、沢山の工場、倉庫、タンクが立ち並び、両岸の小倉、門司、下関の市街地がすぐ目の前に見える。左舷側の至近距離を速度の速いコンテナ船が追い越していく。船は、彦島の南岸を航過し海峡の中央部を通っていく、前方には関門橋が、左の下関側に巌流島が見えてくる。今では小さい島は整備され公園になっている。その向こうには、下関ポートタワーが見える。前方の九州側には風師山がそびえる。この山もいつか登ってみて、逆方向から関門海峡を見てみたいものだ。九州側の小倉付近にはレンガ造りのレトロな建物が目立つ。関門航路の最狭部にかかりまた左側をコンテナ船が追い越していく。ちょうど反対側からも大型船来たので、船間距離はぎりぎりだ、100メートルあるだろうか(-_-;)。こんな状況では、何か間違えば事故になるのだろう・・・。左側の下関側には、水族館の海響館が目立つ。門司の港を右に見送り関門橋を通過する。関門橋は、関門海峡の最狭部である早鞆瀬戸にかかる1068mの吊り橋で、高速道路が通る。桁下から海面からまでの高さは61mあり、今の船の一番高い部分は、海面から37メートルあるので、24メートルの余裕があるのだが、橋の真下から見上げるとすれすれで通過していくように見える。

船は無事に関門海峡を抜け、門司の部埼沖でパイロットを降ろし、瀬戸内海に入る。瀬戸内海も船舶交通が輻輳し、気が抜けない海域である。船は残りの荷物を揚げるため、岩国港に向かう。



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六連島の桟橋に向かう。
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六連島灯台

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六連島の桟橋に着桟する。

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六連島の港

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関門海峡の海図

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右側に北九州市街を見る。

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下関側・下関ポートタワーと巌流島

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台場鼻潮流信号所
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しものせき水族館・海響館

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関門橋を前方に見る。丹沢山
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風師山(風頭岩峰)から見る関門海峡




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